Naomi B Sauvage (畠山奈保美)
© Yuko Amano
9月7日に 東京都文京区白山で生れる。お茶の水女学校( 現 :お茶の水女子大学)の第一期生として入学した士族の祖母の影響で,子供時代から外国からの文化人等が集まる環境で育つ。海外に行く夢はこの頃から芽生える。同時にピアノ、フルート,コントラバス等の楽器演奏を始める。小学校3年の時に、オペレッタを作曲しNHK教育番組で1時間のドキュメンタリィーの取材を受け主演する。小学校4年時に私を宝塚音楽院に入学させようと準備していた母が急死したことで、人生はかわる。その後継母の意向で文京区の戦災でも焼け残った家、土地を売り、横浜に引越し、その直後最愛の祖母も他界。
1981年日大芸術学部演劇学科演技コースに入学。先輩に真田広之や三谷幸喜らがいた。大学在学中は当時盛んだった小演劇活動にも果敢に主演し、そのひとりは当時まだ無名だった「月はどっちに出ている」などの劇作家兼演出家の鄭義信。日大芸術学部演劇学科卒業の論文は祖母とも縁のある、明治時代に女優の先駆者として活躍し、若くしてなくなった松井須磨子を中心として「松井須磨子の生涯と同時代を生きたフランス女優サラベルナール研究」。
1986年文学座附属研究所の本科生として女優修行。卒業論文が縁で知りあった坪内逍遥の娘、飯塚くに女史からの個人的要請により250ページの口述筆記の元原稿を完成させた。その後、彼女の手を離れ、「父逍遥の背中」( 中央公論新書1994年)となって出版される。女優としての舞台,映画、TVのレポーター、ナレーター等の仕事以外に、リードボーカルとしてライブ活動を数多く展開するが、欧州に行く夢を実現。
1991年イタリアのローマで一年半仕事をしながら欧州を取材して回る。
1993年世界最古のフランス国立演劇大学院の教授とパリで結婚し、ピーターブルックや当時のフランス国立劇場(http://www.cnsad.fr/)の総支配人Jean Pierre Miquelや、ヴァンソン ペレスなどパリの芸術家達との刺激的な生活を過ごす。日本初の外国人によるヨーロッパ形式の演劇学校を設立するため、世界中の演劇事情を偵察(1年間で約27ケ国の国々を訪問)。
1994年に品川区で演劇学校を開校し、有限会社の代表取締役に就任。ドイツ人やロシア人の等の世界一流の教師陣による画期的な授業はNHKのニュース番組「徹子の部屋」や各マスコミに頻繁に取り上げられ、朝日新聞の月刊誌「RONZA」の演劇欄を3年間主宰者が担当し、演劇教育革新を推進。
© Kanbe Shun
2002年5月東京赤坂草月ホールでヌーベルシャンソンのソロリサイタルを開催し、大盛況で終えてパリに戻る。
2003年にパリで日仏文化交流の為の文化協会を創設し(http://www.kototama-international.fr/)、アーティストディレクターとして活動を始める。パリを中心に現代音楽のピアニストとして世界一流の評価を得ているJay Gottlieb(http://jaygottlieb.free.fr/)を音楽監督に迎え、テーマ性のある実験的なコンサートや公演、レコーディング等を行なう。ロンドンでは<AMATERASU>のCD制作を、モロッコでは<La Voix de Makrokosmos>のCD&DVD制作。
2006年にニューヨークで半年間語学と音楽修行をし、ボストンでライブをする。その後カルフォルニアに移り、サンディエゴ大学院でかねてから完成させたかった、演劇をベースにした創造性開発プログラム<Seventh Sense Institute>を発表して、パリに戻る。
2009年に「Dorée kami Co.,LTD in France」を設立し日仏出版事業のコーディネイトや,インテグレートアーティストとしてフランス人のエスプリと日本文化の普遍性を融合させた、21世紀の人材創出コーチングと日本人国際化と国際的ネットワークの拡大拡充を実現するトレーニング推進の為日本に個人事務所を持ち、本格的な活動を始める。
2010年3月に東京神田のアテネフランセにて、国際的なコミュニケーションのトレーニングとして、演劇をベースにした彼女のプログラムが「テアトロアクティングトレーニング」として帰国後始めて開催され好評を得る。
© Kanbe Shun
5月に「パリの日実行委員会」の代表に就任し、同じく代表であるパリ専門の出版制作会社「PRESS PARIS」編集長の竹内氏と数々の(http://www.pressparis.com/)講演会を東京で開催。
7月に清春芸術村(http://www.kiyoharu-art.com/)の30周年パリ祭にも10年ぶりに招待されヌーベルシャンソンのディナーショウを行なう 。六曜社より出版「東京の中のパリ」、「親子で行くパリ」の文化監修担当。
2011年 5月 株式会社ロレアルのYSLの研修にて、全国のマネージャーを対象とした、「イヴ・サンローランとパリジェンヌ」のエスプリ講座の第一回目を開催。人 生をアートする(Art de Vivre)をテーマにドレカミ倶楽部を発足し、各種イベントを全国にプロデュース。12月に「両親と行くとっておきのパリ案内」六耀社出版の文化監修を担当。その他多数都内でライヴやドレカミ倶楽部のイベント開催。
2012 年4月に文京シビックホールにて、パトリック・ヌジェさんをスペシャルゲストでコンサートを開催。11月にドレカミジャポン株式会社を設立し、代表取締役に就任。12月31日に書き下ろし最新作「私が輝くパリジェンヌレッスン」をソフトバンククリエイティブ株式会社から発売。
2013 年2月7日に銀座十字屋でトークライブを,フレンチジャズマヌーシュギターリストの 河野文彦さんとトリオで開催。 駐日フランス大使クリスチャン ・マッセ氏より好評販売中の「私が輝くパリジェンヌレッスン」の出版記念講演会に対して、ご推薦状を頂戴する。日本全国の日仏協会とネットワーキングしながら、セミナーやライブを展開中。5月11日は福岡のアンスティテュ・フランセ九州で開催。
これからは「日本の永遠の美」を世界に発信していくクールジャパンのプロジェクトでパワーアップ!!まずはパリから...新時代に生きる女性の、精神のリベルテをフランスのスピリッツを導入しながら、再構築するのが夢。パリ在住。独身。寅年。A型。
Photos by Yuko Amano(PressParis).